他郷阿部家

阿部家とは? > 山田 純さん

山田 純さん

神奈川県小田原市東部に30年以上住まう、1949年9月生まれの60歳。1年間東京目黒区の障碍児学級で働いた後、27年間、神奈川県西部の箱根と伊勢原で定時制高校に国語科教員として勤務。生活文や卒論に力を入れてきましたが、学校の教育内容についての疑問から地域の生活史の聞き書きなどに参加するうちに、さまざまな環境問題とかかわるようになり、身動きがとれなくなって、52歳で退職。この20年、酒匂川流域を中心に、ごみ、河川、里山、山村、森林・林業、建築・家具、農地・生態系など、問題をかかえる現場に身を置きながら、解決の道を多くの人たちとともに手探りしてきました。森林・林業、山村問題では、国民森林会議というNGOの事務局長をしています。
殊に近年は県内唯一のメダカ生息地の保全に時間を割くようになり、県や市と協議してビオトープや多自然水路の設置を実現したり、めだか米(8.5トン)の販売や稲作後継者の育成に力を入れたりしています。米作りにも手を染めており、数えてみたら、5月20日以降、6.5反の田んぼと8畝の休耕地の手入れに、田植えと草刈り、草取りだけで46回通うなど、汗みずくの日々を過ごしています。(だけど、田んぼは気持ちいい!)また、メダカのほかいろいろな水生生物がいるため、地元の小学校をはじめ、小さなお子さんを連れた若夫婦や子ども育成団体との付き合いも多く、観察会など地域の子供達を田んぼの世界に連れ出す活動もこの夏は毎週のようにもちました。
こんなふうに地域との関わりが深くなるばかりの私ですが、4.5年ほど前、登美さんという人に会いにきたのがきっかけで、終の棲家はここにしようと、大森に家まで持つようになりました。
なぜ、そんな気持ちになったのか。理由はいくつかありますが、ここに来て夜の会合に参加し、交わされる言葉を聴いているうちに、急に懐かしさでいっぱいになったことが、その一つであることは間違いありません。50年以上もの間離れていたわけですが、生まれは広島県東広島市(旧賀茂郡西条町)
八本松で、広島と石見の言葉は概ね同じなのです。夜な夜な仲間で集まるのも同じで私には嬉しい事でした。そのうえ、生誕の地は奇しくも大森のほぼ真南(しかも県境から線対称の位置)にあたり、今の八本松は姿が大きく変わりましたが、大森は伝建地区に指定されているため、寧ろ昔の姿を止めています。登美さんたちの伝統文化についての考え方や態度に共鳴し、大田での里山への取り組みや人文系、自然系の博物館の存在、炭焼きやタタラ製鉄の遺跡に富むことに可能性を感じたことも、理由となっています。
適当な言葉がないので、アイデンティティーという言葉をそのまま使うことにしますが、これは風土とのかかわりの中からコミュニティーに蓄積されてきた伝統文化へのかかわりといったら、一番近いかもしれません。人の命は3代以上前は闇で、3代の後もだいたい闇で、つまり、闇から闇へと命をつなぐ時間だけ何となく照明されている様な存在ですが、そのつなぐ時間の中を軸のように貫く物がアイデンティティーとのかかわりのように思います。
アイデンティティーはとても大切ですが、同時に怖いものでもあると思うのは、例えばニュージーランドに渡ったイングランドの人々は、イングランドのアイデンティティーへの拘りから、渡来先のニュージーランドの自然を、森林と湿地に富む国土から羊向けの牧野と装飾的なイングリッシュガーデンに90%改変してしまったことが挙げられます。逆に、根があるようでありながら、日本の近代化や戦後のように、伝統的文化を簡単に断絶してしまえる側面のあることにも恐ろしさを感じます。
寝そべっても、軽んじても結局は駄目だということですが、ではどうしたらよいのかというと、アイデンティティーをもう一つ掘り下げて吟味することが欠かせないということなのだと思います。ここのところが一番難しく、一番大切なことになるのでしょうが、阿部家でのお付き合いがそういう緊張感のあるものになるよう、願っています。
ちなみに、田んぼで言えば、昔は1石(約150kg=一人の成人が一年に食する米の量)撮れる広さを1反としていたのが、明治初期には反平均200kg、
今では品種改良と基盤整備事業(特に排水整備)の進展などで反500kgも取れるようになりましたが、食する量は30kg/年・人を割ることも少なくなってきて食との矛盾が広がり、他方生き物が激減して、生物環境との矛盾も共生とは言えないところまで大きくなっています。田んぼの姿をどうしていくのかが根っこのところで問われているわけです。
糸で言えば、絹でも木綿でも同様だったようですが、木綿では、晩年芹沢銈介が嘆いていたように、インドでも工業機械による大量生産に引きずられて、細く美しい木綿が生産されなくなり、素材のいいものが入手できなくなったということがあり、つまり、紡ぎ、織り、染、デザインをどう工夫しても限界があり、素材そのものを再生させる、農レベルと共同しての取り組みが必要になってきているようです。
阿部家での集いは、いろいろな分野の人が、think blobally act localyだけでなく、think radicallyに関われるような物になったら素敵ですね。